今大阪難波と言うのは騒がしい繁華街です。
しかし古代の難波は海でした。波が速く神武天皇もたどり着くのが難儀だったようです。だから難波。
ところで、難波の海を望んだ話が有ります。
大阪の四天王寺(聖徳太子が造った寺)はすぐ裏(西門)が難波の海でした。
四天王寺から浄土を求め海のかなたに向かって行く思想が有りそれを日想観と言います。
夕日に向かって難波の海から浄土を求めていくようです。
それと同じように浄土を海のかなたに求めて小舟で海に繰りだす思想があります。井上靖さんが小説に書いています。
補陀落渡海紀 有る年齢になると浄土に向かって小舟で繰りだしていく僧侶の心の葛藤を描いた小説です。
人間の究極の姿を描き出していると思った小説です。
古代とはちょっと外れて「古代。閑話休題」でした。