ポエニ戦争と言うのが有ります。(紀元前264年~紀元前241年)
勢力を伸ばしてきていたローマが唯一てこずった国が北アフリカにあったカルタゴです。
カルタゴは海の民として活躍していたフェニキア人が入植して造った国で
当時地中海貿易を支配していました。
フェニキア人の航海術は優れたものでローマは海戦では苦戦を強いられました。
しかしフェニキア人の船を一隻手に入れたことによって形勢は逆転します。
結局ローマの勝利で終結しカルタゴは多大な負債を負います。
その負債を返すためにカルタゴの将軍ハミルカアルは現在のスペインに
カルタゴ・ノヴァと言う国を造り賠償金を返します。
このハミルカアルは有名な名将ハンニバルの父親です。
さてハンニバルはその父親の後を継ぎカルタゴノヴァを運営します。
カルタゴの復活を恐れたローマの対応に怒ったハンニバルは第二次ポエニ戦争を仕掛けます。
その戦法が意表をついた奇策アルプス越えです。
数十頭の象を引き連れて道さえ無い冬のアルプスを越えます。
出発時は5万居た兵士もイタリア半島についたときは半分になっていました。
そのような無謀とも思える行軍をしてきたにもかかわらずハンニバルの兵達は士気が高かった。
カンネーの戦いと言うのが有ります。ハンニバルの兵2万5千とローマ軍5万の戦いです。
ハンニバルはローマ兵を罠にかけ少ない兵で殲滅させます。
戦史に残る殲滅戦だったようです。
ハンニバルの戦法は後世においても軍事家たちが参考にしているほど用兵の天才であったようです。
しかしなぜここで一気にローマに攻め込まなかったのか。
そうすればもしかしたら歴史が変わっていたかもしれません。
結局双方に決定打のないまま16年が過ぎます。
そこで登場するのがローマの将軍スキピオです。
スキピオは直接カルタゴを攻撃します。
カルタゴの指導者たちは弱腰だからハンニバルを呼び戻すだろうという考えです。
しかしこれは一種の博打です。
スキピオの出陣によってローマの守備はガラ空きだもんで
もしハンニバルが戻らずにローマを攻撃したら大変なわけです。
結局カルタゴの指導者たちは、ハンニバルを召還させます。
カルタゴでハンニバルとスキピオが戦いハンニバルは負けます。
その後ハンニバルはカルタゴの指導者にも裏切られシリアに亡命します。
カルタゴはその後驚異的な復興を遂げますがそれを見たローマは脅威に感じ
ポエニ戦争第三回戦(前149年~前146年)でカルタゴを壊滅させます。
その後東方のマケドニア、ギリシアもローマによって征服されました。
(マケドニアはアレクサンダー大王の国です)
イタリア半島以外の国は同盟国としないで属州にし搾取しました。
その資金と奴隷の流入によって強大なローマ帝国が誕生します。
このころのアジア大陸は秦の始皇帝が中国を統一、その後、劉邦による強大な漢帝国
の誕生という時代でした。
日本はというとやっと鉄器と青銅器か入ってきたばかりでした。
まだ石器が主な道具の時代だったのです。