以前にも書いたように
北アフリカ(現在のチュニジア)に有った海の民フェニキア人の造ったカルタゴは
強大な貿易国家であり経済大国であった。
敗戦敗戦を繰り返し多大な損害賠償金を抱えながら瞬く間に不死鳥のようによみがえってくる。
その返済力は目を見張るものであったそうだ。
ローマはカルタゴに続いて勢力を伸ばしてきた国で地中海の覇権争いで
じわじわとカルタゴはローマにその勢力圏を奪われてきた。
現在カルタゴの遺跡はあまり無い。そこまでローマによって無きものとされた。
カルタゴとローマは大きな軍事的違いが有る。
カルタゴは良く言えばシビリアンコントロール(文民統制)が利いていた。
要するに軍隊が勝手に動かないように統帥権を将軍に持たせなかったことである。
方針を決め実行するときには政府の了解を取り付けなければいけない。
ローマはここが現場の将軍に全ての采配を任せたことで有る。
文民統制は軍が独自に突っ走らないように歯止めにはなるが優秀な将軍が軍を率いているときは
ブレーキになりせっかくの戦略が台無しになる。
これがハンニバルがローマにもう一歩と言うところまで迫ったにもかかわらず決め手が無く
国に戻った理由で有る。
カルタゴは更に文民統制しながら戦勝をあげなければその罰則は厳しいものであった。
ローマは逆に現場に任せながら敗戦の将にもねぎらい次のチャンスを与えたようだ。