神話か古代史か?

明治時代に紙幣の顔として長らく務めた方がおられます。その名は・・・

・・・武内の宿禰・・・

所在不明年金受給100歳以上の方も真っ青300歳まで存命され何代もの天皇に仕えた
と言われた方です。見習うべき忠臣として語られてきました。

この人は神功皇后に従って三韓征伐に行きました。
神功皇后は身ごもっていたのですが産気づいたのも厭わず朝鮮半島に渡って一働きした後
九州に戻って後の応神天皇となる皇子を産みました。

昔は女性も戦ったようです。
古代日本では女性も武装して戦地に赴くか夫に従って戦地に行ったようです。
位の高い人ほど女性は出陣したようです。

古代中国では巫女が戦場に行きます。
それは敵をまどわすため恐怖に陥れるため軍隊の前に立たせます。
とくに殷の時代にはそれが当然だったのです。
その戦い方を変えたのが周にの軍師太公望です。

余談;
:チータは雌が狩りをし、子育てをし家庭を切り盛りしていきます。
:雄は雌のとってきた物の残りを食べるだけです。
:子供の雌も母親に習ってしっかり狩りを学び独り立ちし自分の家庭を造ります。
:母親も有る程度子育てを終わるとまた別の家庭を造りに旅立ちます。

:雄の子は狩りが下手で姉妹のとってきたもののおこぼれにあずかります。
:せいぜい鼠を捕るくらいです。・・・・余談でした・・・・

実はこの神功皇后は仲哀天皇の后です。
仲哀天皇はかの日本武尊の息子です。

神功皇后は卑弥呼同様巫女であったようで神(住吉大神)の声を聞いて
新羅征伐の御信託を受けました。
(神功皇后の時代と卑弥呼の時代がやや重なるため
同じ人物ではないかと考えている方もおられます)

それを仲哀天皇に告げたところ却下されました。

その後すぐ(ふ・し・ぎ)仲哀天皇は亡くなります。
その後を継いで神功皇后は神の神託どおり
三韓征伐に向かいます。

いつもつき従ったのは武内の宿禰です。

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